■■ 追憶の彼方 ■■



さぁ。
いよいよ『伊太利亜ものがたり』フィナーレを迎えます。
構想1年、執筆4ヶ月(うち3ヶ月放置)。


・・・なんとか。
なんとか。

第11章 天上の添乗員

午前4時。
ホテル前のバスはカタカタと小刻みに震えながら白い煙を吐き出し乗客を待っている。
フィウミチーノ空港発、午前7時50分のBA551便。
この機に間に合うためには日の昇らない早朝にホテルを後にする必要があった。

テルヲ、ムツ、コウイチロー、トモ。
4人は終始無言でバスに乗り込み出発を静かに待った。
4人ともウサギ目で、それは昨晩一睡もしていなかったことの証拠であった。

ロビーでツアー客の荷物をチェックするぐっさんの後姿に昨晩の哀愁は感じられない。
テキパキと荷物の数を数え、ポーターに指示を与えている。

バス内では朝食用にと、ホテル厨房特製のおにぎりが配られた。
イタリア人シェフが握ったと思われるおにぎりは三角形ではなく、軟式B球ほどの大きさの球形であった。

やがてぐっさんもバスに乗り込み、静かな声で挨拶をした。
「おはようございます。
皆様、よく眠れましたでしょうか。
いよいよ本日、ここイタリアを後にし、帰国の途につきます。
イタリアは皆様の心に深く印象を与えましたでしょうか。
空港まで1時間ほどで御座います。
どうぞ、イタリアの土の色、街の色、空の色をしっかりと覚えて帰ってください。」

ぐっさんのマイクパフォーマンスが終わってもバスは出発しない。
「凸凹が来てへん。」
ヤミが小声で呟いた。

程なくしてすっぴんの凸凹がマイペースでバスに乗り込んだ。
何なの?文句でもあるのかしら?
相変わらずの態度だ。
文句もないが、眉毛もないぞ。
そう呟く元気もない4人であった。

バスはねっとりとした夜明け前の空気の中をゆっくり進んだ。
ずっしりと居座るローマの遺跡達が次々車窓から流れていった。
去るものに対し全くの無関心であるかのようにローマの街は静かであった。


バスの中も静寂が支配していた。
しかしフィウミチーノ空港に着き、皆がバスを降り始めるとマリッペの様子が急変した。
よろけながら歩くその表情には血の気が全くない。
「少し休めば大丈夫だから。」
心配そうに見つめるヤミに笑顔を返すものの、その顔に余裕はない。
とにかくベンチに座らせ、落ち着かせる。

テルヲは空港職員に頼み込み、タオルと水を拝借した。
ヤミは背中をさすり、手を握り締める。
ぐっさんがツアー客のチェックインを済ませる間、マリッペは苦しそうな息遣いを続けた。

傍らにタナカがやってきた。
意地の悪い目つきになり言い放つ。
「罰が当たったんだ。きっと。キミはボクの恋路を邪魔したからな。くくっ。」
「何てこというんや。病人やぞ。」ヤミは立ちあがり、鋭い視線で睨み返す。
「おいおい。ボクの方が重症だぞ。
キミ等がうろちょろしてくれたおかげで『彼女』のナイーヴな心が休まることがなかった。
ボクの熱いプロポーズをソデにした、いや、せざるを得なかった彼女に謝り給え。」
「・・・フラれたのか。お前、ぐっさんにフラれたんだな。」
「違うっ!シャラーップ!!
『今は考えている余裕がないから・・・』と言われたのだ。キミ等のせいで、な。」
「ははっ。それはフラれたんだよ。残念だったな。」
テルヲは思わず調子に乗って続けた。
「散々オレ等に嫌がらせをした結果がコレかよ。笑わしてくれるな。お前の悪行、みんなぐっさんにバラしてやるからな。」

そのときタナカの黒ふちメガネが光った。(レンズが)
「ふふん。それはどうかな。自分たちがそれほど信頼されているとお思いかな?」
にたーっとした笑いを口元に浮かべタナカは去っていった。

「何やねん、アイツ。気色悪いわー。」
ヤミはタナカの後姿に睨みをきかせ腹立たしそうに言った。
「…気分悪いのワタシなんだけど…な。」
か細い声が足元から聞こえた。


暫くしてまりっぺは回復し、チェックインの時間となった。
ここでも事件は起きる。

なんでやねーんっ!
長身のイタリア人にヤミが吠える。
「なんで?これ高かってん。150ユーロやで。」
“No. It's dangerous. you want to be arrested? ”
「アホか。なんもせーへんて。」
“No, you can't take this into the airplane. ステルカ、スーツケースニイレルカ、ドッチカダ”
「スーツケースなんてもう流してもたわっ。」
“ジャ、ステテクダサーイ”

ヤミは悔し涙を浮かべながら150ユーロの髪留めを空港職員に渡した。
既にターミナルに入っていた凸凹が笑いをかみ殺しているのが見える。
「ホンマついてへん…」


BA551便に搭乗するまでの間、テルヲはぐっさんに声をかけた。
「ご苦労様です。昨日は…」
話し始めようとしたテルヲを遮るようにぐっさんはぴしゃりと言った。
「もうこれ以上、騒がないでちょうだい。」
余りに意外な反応に面食らうテルヲ。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。何だか分からないんですが。」
「分からない?良くもまぁ。
あなた達4人がはしゃいでいるのは勝手ですけど、
ツアーにも関わらず勝手にポンペイに行ったり、
ワタシに関しての適当な噂を流して楽しんだりするのは迷惑なの。
お願いだから帰国するまで静かにしていてくれる?」
テルヲは愕然とした。
タナカだ。
「タナカが吹き込んだんですね?アイツ…」
「もう、いい加減にして!」
ぐっさんの大声に待合の喧騒が止んだ。
「もうこれ以上、ワタシを疲れさせないで!!」
怒りに満ち溢れた表情で搾り出すように吐き捨てるとぐっさんは立ち去っていった。

一体、タナカは何を言ったんだ?
混乱し座り尽くすテルヲに向かい、柱の影から黒ふちメガネが光った。


ローマ〜ロンドン間のBA551便の中では午前8時半を周り、機内朝食が出た。

“beef? or chicken?”
“me? oh, I'm just chicken. ”
なかなか噛み合わない会話をスッチーと交わし、やっとの思いで朝食にありついたトモ。
そんなトモに悲劇が起きた。

“締め”のデザート、ヨーグルトを開けようとした瞬間、それは起こった。
ポンッという爆発音。
余りの笑劇に、隣に座っていたテルヲは思わず声を上げる。
「うわっ!」

テルヲの声に機内の目が一斉に注がれる。
惨めな姿のトモ。
飛び散ったヨーグルトを顔面いっぱいに浴びたその姿は
まるで・・・

集まる視線の中にぐっさんのものもあった。
もはや言葉などない。冷たく、刺さるような視線であった。


11時半。
12時過ぎにフライトとなるBA005便のチケットがぐっさんより手渡された。
無愛想に手渡されたチケット。
BA005便に搭乗すると、4人の席は他のツアー客の席と隔離され、機体後方であった。

ぐっさんの怒りはホンモノだ。なんとかしなければ。

テルヲはいきさつをムツ、コウイチロー、トモに話す。
BA005便はエプロンを静かに離れてゆく。

「…ということなんだ。タナカの入れ知恵にぐっさんは騙されているんだよ。なんか悔しくないか?
ぐっさんの誤解を解きたいと思わないか?」
テルヲの力説に暫し沈黙が流れる。
と、コウイチローが口を開いた。
「冷静に判断して、これ以上首を突っ込まない方がいいんじゃないかな。」
「…オレもそう思う。いいじゃん、別にどう思われようが。」
「…じゃあ。オレも…。」
ムツに続きトモも静々とコウイチローに同意する。

息詰まる空気の中、BA005便の機体は静止した。
刹那、ジェットエンジンが雄たけびをあげ、滑走路を駆け出す。
無言の4人。
やがて車輪の振動が消え、BA005便はヒースローを離れた。

全身に受けるプレッシャーに耐えるかの如く、じっと身動きすらしない4人。
ぐんぐんと小さく離れていくロンドンの地を尻目に眺めるテルヲの目から一筋の涙が頬を伝った。


沈黙はシートベルト着用サインが消えるまで続いた。
「ポ〜ン」
ランプが消え、客室乗務員のアナウンスが始まった途端、突然テルヲは勢い良く席を立った。
無言で機体前方へ歩いてゆく。ゆっくりと。一直線に。
3人はただ、その凛々しい後ろ姿を見つめることしか出来なかった。


どれくらい時間が経ったのだろうか。
テルヲが戻ってきた。
その手にはカップラーメン。

3人は声をかける切欠を見出せない。
またしても重苦しい沈黙が続く。

テルヲは何と言ったのだろう?
それに対しぐっさんは何と答えたんだろう?
そして、タナカは?

徐にカップラーメンのフタを開けるテルヲ。
見つめる3人。
食べ始めるテルヲ。
見つめ続ける3人。
食い続けるテルヲ。
ズズズズズ…
麺を啜る音だけが響く。

やがて3人の釘付け視線に気付いたテルヲは、手を止め、口を拭い、言った。
「くう?」


「…い、いや。たべ 食べたいけど、それよりぐっさんは?どうなったの?」
拍子抜けし、きょとんとした顔でトモが尋ねる。
テルヲはカップラーメンの汁を飲み干し、鼻をかみ、大きく息をついて言った。
「ん?ああ。もう、いい。止めた。ぶっちゃけ面倒くさい。
オレの前で『疲れた』とか言うなっつーの。」
!?・・・
「さっきの涙は?泣いてたじゃん…あれは、何だったの?」
「あぁ。あれで最後。最後の一滴。もうカラッカラですよ。砂漠気候でお願いしますっ。」
晴れ晴れとした表情に偽りの跡は見られない。

「…カラッカラ。」
呟くトモに向かいテルヲは言った。
「そうそう、タナカにも言ってやったよ。」

立ち上がり、サムズアップ。
『グットラック』


丸窓の眼下は一面の雲海。
ただ唯一の変化は雲海に映り込み音もなく進むBA005便の影だけであった。

第11章 完



長い間ご愛読ありがとうございました。
至らぬ表現、不明確な言いまわし、不可解な固有名詞等、多々ご批判/ご指摘御座いますでしょう。
是非、ご感想をお聞かせ下さい。
これからの執筆のみならず、人生の糧にさせて頂きたいと思います。