■■ アジアの都市は新宿を目指している ■■



はじめに。
伝説の上海旅行を『上海旅記』改め『上海旅情』として復活させました。
旅から1年半が過ぎ、記憶と記録の行方が曖昧な中での再構成。
いつにも増して過剰な表現が散見されますが、そんな表現の裏に真実が見え隠れしていたりします。
それでは。

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「海外旅行と言えば、ヨーロッパ」これが僕の定説であった。
埼玉県の一般大衆代表として産まれた僕にとって
「飛行機に乗る」という行為そのものが極稀にしか経験できないことであり、
その非日常的な魔法の箱が運んでいってくれる行く先には
当然日本での手狭な日常とはかけ離れた異文化世界が広がっていて然るべき、
と考えていたからだ。

そんなヨーロッパかぶれな僕が、2004年の夏、初めてアジア旅行へ挑戦した。
行先は『中国・上海及びそれに近接する街蘇州の古典庭園群』
きっかけは、2004年6月27日の午後11時30分からのTBS。
巧みなカメラワークで紡がれた映像美に、寺尾聰の渋いハスキーボイスが共鳴し、
30分間の限定的かつ断片的そして一方的である情報が、
まるで夏祭りの夜に喧騒から少し離れた神社の境内で出会ったあのコのように
刹那的に僕の心を圧倒的に捉え、夏の予定を決定的なものにしてしまった。


今回の旅の伴侶は、イタリアでも冷静かつ情熱的に大活躍であったトキコー・鈴木オーナー。
野球チームのオーナーという職務の傍ら、
世界を股にかけた国家的プロジェクトへの荷担など
激務を極める超多忙なオーナーであるが、スケジュールを調整して頂き、快く同行して貰うことになった。

上海に対する知識が乏しい僕を助けてくれたのは
2年間ほど上海に駐在している(2004年8月末帰国)友人であった。
彼のアドバイスを大約すると主に以下の通りとなる。
・上海蟹のシーズンは初秋から
・記録的な猛暑&8月上旬はオフシーズンということで外灘(バンド)のライトアップは自粛
・中国人は信用できない

出鼻を挫かれるような情報のみが耳に入り、いささか上海に対する期待が下がったが、
蘇州の古典庭園を主目的に据えた僕は余り気にしないことにした。
無論、同伴して頂くオーナーには余計な心配をかけたくないという配慮から
この情報は伏せていたのだが。


上海への想いを暖め過ぎ、チケットとホテルを予約したのが出発の1週間前。
更に
「アジアだから。」
という理由にならない理由でガイドブックも購入せず、
ネットのサーフィンもサボりまくり、
『蘇州の庭園』以外のキーワード以外が何も見つからないまま出発当日の朝を迎えることとなった。





2004.7.31

「で、蘇州の庭以外にはどこに行くの?」
前夜、オーナーからのくせのない真っ直ぐな質問に対して無言になってしまった反省を胸に、
渋々ガイドブックの購入を決めた僕は、朝9時半には車上の人となっていた。
休日朝のローカル線の車内は閑散としており、
外の活力に満ちた夏の陽射しとは対照的に力なく背を丸めたサラリーマンが
ひっそりと佇んでいた。

池袋へ到着の後すぐにデパートへ開店と同時に入店し、目についた上海に関するガイドブックを即入手。
そのまま早足で山手線に乗り込み、
京成スカイライナーに乗り継いだところで、
予定時間より1時間半以上早く成田に着くことが分かった。

にわかに手持ち無沙汰になった僕は、
購入したてのガイドブックを見て少しでも上海に対する知識の積み重ねを図ればよかったのだが、
ぼんやり窓の外を眺めながら、昨晩電話で交わした女のコとの会話をアタマの中で反芻していた。

・・・
「ねぇねぇ。オレ、明日から上海なんだよねェー。」
「ふーん。」
「あくまで観光で。プライヴェートで。」
「ふーん。」
「でもさ。職業柄、上海という発展途上の街における
高層ビルのファサードのデザインとか?
目抜き通りのシークエンスとか?
庭園のランドスケープとか?
そんな辺りに目がいっちゃって、なんだか気が休まらないなー。もう。
とか思っちゃうと思っちゃっているわけェ。」
「ふーん。」
「でね、でね。更にリニアやメトロ、あ、メトロって地下鉄のことね。
そのメトロなんかの都市交通網から都市計画のあり方について・・・」
「で、何の用?」
「あ。あぁ。お土産は何がいいかなって。」
「別に。何でも良いよ。」
「あ!それって、オレがちゃんと帰って来さえすれば、他に何もいらない〜ってことォ?」
「・・・」
「おーけー、おーけー。大丈夫だよ。しっかり帰ってくるからさァ。」
「・・・」
「おーけー。お土産はオレセレクトで。任せておけィ。」
「・・・」
・・・


彼女の無関心ぷりの原因を探るべく、
ちょうど37回目の会話リピートを開始したとき、
突然、妄想タイムを突き破る着信音が成田の1Fロビーに響いた。
中日の往年の名外国人助っ人ゲーリーの応援歌に
設定してあるその着信音は、オーナーからの到着を告げるものであった。

オーナーを出迎えチケットを受け取り、両替、チェックインを済ませ搭乗口へ。
イタリアのときのような
マクドナルド事件やセクハラボディチェックなどのハプニングも全く起こらず、
極めて順調な旅の始まり。
強いて言えば、出発を待つ間、空港内でカレーを食べているとき(オーナーはビール)、
オーナー宛に金の無心をしてくる輩から電話があったことくらいか。
ビール片手に
「おぅ。これから海外なんや。その話は後でや。」
と軽くあしらうオーナーの姿が印象的であった。




上海まではたった2時間のフライト。
機内は日本人&中国人のアジアンフレーバー充満状態で
全く異国への旅を感じない。

ウキウキの旅行気分を満喫したいオーナーはさぞかし怒り心頭だろうと
恐る恐る顔色を伺うと・・・
意外にも機内食にご満悦。

不安だった僕の心の空模様も、
この素敵な笑顔によって、一気に晴れ渡ったのであった。

あっさりと上海に上陸し、
中国にまで余波が広がった「清原不要論」を目の当たりにしつつ 入国審査を受けているときに、
お約束の、そして、お待ちかねの問題が発生した。

上海上陸間際の機内で、客室乗務員から入国検疫カードを記入するよう指示が出た。
国籍や疾病履歴などの簡単な記載であり、
通常、何の問題もなくクリアされるものであるが、
その記載方法を巡り、入国審査時にオーナーと中国公安当局が対立。
一時的に荷物を没収され、約1時間に渡り身柄を拘束されてしまったのだ。


ビクビク怯える僕のもとに帰ってきたオーナーは多くを語らなかった。
気丈に振舞いながら、
しかし、確実に普段より足早に空港を後にした




空港からバスでホテルまで移動し、
中国人民の熱烈な歓迎を受けつつチェックインを済ませた頃、
既に上海の街には夜の帳が落ちていた

さっそくディナーを取るために、
ちょうど開催中であったアジア杯で我等が日本代表に容赦ないブーイングを 浴びせる中国人の間をすりぬけ、地下鉄を利用し上海の中心部へ向かった。

どこへ行っても著名なオーナーのもとには
「カネくれー、カネくれー。」のおねだり中国人が群がってくるが、
さすがのオーナー、クールなキラースマイルで彼らを一蹴。
ときには「ケチ!」と流暢な日本語で口ごたえする中国人少女に対し、
劇的に怒りの一瞥を食らわせる冷静情熱男オーナーと共にふらりと入った店は、
日本ではなかなかお目にかかれない5つ電波の高級中華料理店
グラスに注がれたチンタオビールは、
オーナーという劇物を投入され一気に沸点を超えた上海の街の熱気を帯びているかの如く、
随分生ぬるくなっていた。





2004.8.1

8月1日は、オーナーの敬愛する田村正和の誕生日である。


前夜、合計23杯のチンタオビールで痛めつけられた胃に
朝粥を流し込みながらオーナーと僕は今日の予定を話し合い、
豫園、外灘、浦東のテレビ塔といった上海の必見観光スポットを一通り周ることにした。
「さ。歩こうかー。今日も暑そうやなぁ。」
ヘソ出しルックならず、腹出しルックで闊歩する上海人を窓の外に眺め、僕らは席を立った。


上海駅から地下鉄を乗り継ぎ、豫園に向かう。
なんの変哲もない道をスタスタ歩き、
なんとか門をくぐり、なんとか商店街の人込みをかき分けながら、
豫園へ入った。

「豫園入り口の石碑の前で愛を誓え合えば、その二人は永遠に結ばれる」
中国4000年の歴史の中で昔の偉い人が言ったとか言わないとか、
そんな曖昧模糊な言い伝えを頑なに信じているような若いカップルの記念撮影に気軽に応じつつ、
豫園の中を散策。
豫園の中は、太湖石や武康黄石で造られた庭園、
つぼ型丸型きんと雲。ついでに六角形とか八角形といった様々な形の門や窓、
それに
大勢の中国おば様
沢山の金魚か鯉
龍壁に見入るイイ男
湖畔に佇むイイ男
などが所狭しとひしめき合っていた。

ボリューム満点の散策で食傷気味になった僕らは湖心亭の茶屋で一服し、
豫園を離れ、龍華寺に向かうことにした。


龍華寺は、上海最古の禅宗寺院であり、
三国時代の242年、呉の孫権によって建立された。
龍華樹の下に弥勒菩薩を安置したのが寺名の由来である。
現存する建物の建築様式は、宋代の宋伽藍七堂制で、仏教禅宗寺廟の基本的外観を備えている。
(『地球の歩き方 上海・蘇州・杭州』より)

そんな古き歴史に触れようと訪れた僕らの目を一瞬にして捉えて離さなかったものは、
龍華塔の足元に鎮座する金色輝く太っちょと、 それに集る不届き小坊主たちの像であった。
鮮やかな黄色の外壁が美しい寺院もさることながら、
やはり心は不届き小坊主たちに移っていた。


龍華寺から移動中、暴走する自転車に轢かれそうになった僕は、
「中国人のマナーの悪さには正直辟易するね。
怒鳴り、まくし立てるような話し方、
お金に対する異常な執着心、
地下鉄では降車する人を待つことなくガンガン人が乗ってくるし、
自転車は平気で車道を走る
急速に発展を遂げていく中で、
何か大切なものをどんどん失っていくことに彼らは気づいていないのだろうか。」
と僅か1日の間に溜まった不満を一気に吐露した。
そんな僕をオーナーは
「まぁ、そんなにアタるな。文化が違うんや。
日本の常識がそのまま当てはまる訳ではない。中国にアタってもしゃーないやんか。
アタるな、アタるな。アタるな。」
と優しく諭した。


欧風建築物が建ち並ぶ外灘からテレビ塔のある浦東地区を眺める。
本来、外灘の建築物は夕方からライトアップされ、恰好のデートスポットとなるはずだが、
折しも猛暑による電力不足の影響で、ライトアップは自粛されていた。

オーナーと僕は、
浦東にあるグランドハイアットの最上階にロングステイしているオーナーの友人を表敬訪問するため、
観光トンネルで浦東へ渡った。
突然のオーナー訪問にざわめく護衛の警備員を尻目に、
暫くの歓談をし終えグランドハイアットを出た頃にはすっかり日が暮れていた。


グランドハイアット近くのテレビ塔を望む貸し切り高級中華料理店で
エビアキレス腱炒め+ご飯
(名前を忘れたけれど)こってりした炒め物や、
(名前を忘れたけれど)可笑しな名前の紅白饅頭
それに
ありったけのチンタオビールで僕らの腹は満たされ、瞳は潤んだ
僕らは大いに飲み食いし、大いに語り合った。

酔い覚ましのため、ぼんやりとテレビ塔を眺めながら陸家嘴緑地をゆっくり歩き、浦東地区を離れた。
僕らは互いに無言であった。
アタマの中はすっかり空っぽになり、
替わりにお腹はすっかり満たされていた。

ホテルに戻る地下鉄の中で、ようやく二人の静寂が破られた。
「・・・くっそ〜。中国め・・・」
オーナーは、突然の原因不明の腹痛に苛まれ、
中国にアタっていた。


8月1日は、オーナーの敬愛する田村正和の誕生日である。





2004.8.2

原因不明の腹痛から一夜明け、オーナーは普段通りの冷静さを取り戻していた。
多くを語らず、労わるように朝粥を啜りながら、
「今日も、あっついでぇ。」
と眉をひそめながら光化学スモッグのかかった空を睨みつけていた。

この日は上海から列車に乗り、蘇州を訪問、世界遺産の庭園群を愛でることとした。

海外での列車の旅は必ずと言っていいほどハプニングが起こる。
チケットを購入する際にトラブルが起きたり、乗る列車を間違えたり、途中下車をし忘れたり。
また、イタリアのときのように、乗った列車が勝手に故障するなんてハプニングもしばしば起こる。
今回は特になかったのだが。


蘇州での移動手段は、自転車である
巧みな交渉術で泣け無しの賃料を値切り、自転車を借りた。
今にもチェーンが外れそうな自転車を漕ぎつつ、まず向かった先は、拙政園。
世界遺産の庭の一つである。
とてつもなく広い敷地に、池や沼東屋やら、 丸窓やら、 暑くて気がおかしくなったイイ男
東屋の丸窓は借景を利用した巧みな空間演出を行っている、のではあるが、
とにかく中国人旅行者が多く、且つ、騒がしく、感慨に耽る暇を与えられない。
悔しさが滲み、シャッターを押す指先が震えた。


拙政園の後は、獅子林、そして、留園を自転車で周る。
これら2つの庭は、主に太湖石が飾られている。
自然が作り上げた造形美に心奪われる、はずが、ノイジィチャイニーズの大群にまたしても邪魔される。
「もういいよ、は。はいはい、すごいすごい。」
イライラした僕が吐いた暴言を
「お前は庭を愛しているんじゃなかったのか?」
と嗜めるオーナー。
デジャヴ?
一瞬曇ったアタマの中に、次の瞬間閃光が走り、
フォロ・ロマーノでの出来事が一気にアタマに甦る。

「ここは、東洋のベニスと称される、蘇州やで。」
僕のアタマの中を見透かしたように、オーナーは笑った





2004.8.3

上海とのお別れは実に呆気なく、慌しいものであった。

3日間変わることのない薄もやの蓋で覆われた熱の篭った上海の街から滑るように発進したリニアは、
430km/hというスピード
あっという間に僕とオーナーを空港へと運んだ。

惜別の別れに物言わぬオーナーの目には、
車窓を流れる景色が薄っすらと湿り気を帯び映っていた。







最後まで読んで頂いた奇特なあなた。宜しければ感想をメールで下さい。
抽選で2名の方へ、僕が当時(2004.夏)ちょっといいな、と思っていた女性へ買っておいた、
でも、帰国後すったもんだあって渡していないお土産をプレゼントしたいと思います。
※このお話は半分くらいフィクションです。